駆けよ、不動の虎よ
やや久方振りに更新。ブログ更新していない間もしこしことプラモ製作に勤しんでいたのだ。といっても作っては放置、塗装しては放置していたのでなかなか仕上がらずにいた。今回はWW2時のドイツ軍重戦車、Ⅵ号戦車ティガーⅡ タミヤ製を製作。
ティガーⅡはWW2当時、砲撃威力や装甲防御力ともに最高レベルで最強の戦車といえる存在であったが、燃費や機動性の悪さ、故障なども多かったようである。敵が来たら撃つ、重量級の不動の虎である。荒々しく大地を駆け抜くような虎ではない。
ティガーが虎なら、T-34はデカめの犬ぐらいの大きさだろうか。
油絵を模型に初めて使って見た。もう最後は「ええい、泥で汚してしまえ」という心持ちになって何だか汚くなってしまったけど。
でわでわ。
戦場で駆けるゾンビ
20XX年、フランス北西部に位置するノルマンディー地方はかつて無い脅威に曝されていた。この地は温暖な気候に恵まれており、豊富な農作物や海産物が穫れ、またリンゴを原料としたシードルやカルヴァドスといった林檎酒の名産地としても知られていた。だが、第二次世界大戦が始まるとやがて戦火に巻き込まれ、数多くの戦没者が生まれた土地でもあった。当時、ナチスドイツ軍の侵攻を受けていたソ連軍の要請があり、独側の占領下にあったノルマンディーに向けて連合国軍による上陸作戦が行われた。戦争映画『プライベートライアン』の冒頭シーンではオハマビーチでの銃撃戦の凄まじさが私の脳裏に焼きついている。
ここからは上陸からパリが解放された後の物語(創作)である。いまでは誰もがご存知の通り、ナチスドイツではユダヤ人に対するホロコーストが行われていた。強制収容所に連れられた人々は人体実験を強制的に受けさせられた。被検者は死亡もしくは障害を負わされたが、秘密裏に生物兵器としてのT-ウイルスの研究が進んでいた。ある日、何者かによって施設内でT-ウイルスが漏洩し、拡散。感染した内部の者がゾンビ化し、結果的にウイルスは街にまで蔓延した。そう、このプラモデルは『バイオハザード』である。しかし、本家ではなく、バイオハザードもどきであると言わなければならない。主人公アリスに似た謎の女戦士とゾンビの戦いの物語なのである。
謎の女戦士は生まれも育ちもなにもかも謎に包まれた人物である。顔はともかく出で立ちはアリスにひどく似てやしないか。(色はそれっぽく似せた。)
謎の女戦士が乗っているバイク、これはノルマンディー上陸作戦時の米軍のものであると窺える。(悲しいかな、パッケージに女戦士と共に描かれているバイクはどこにも入ってなかった為、イタレリ社のやつを採用。)
では、次にイかれたゾンビ共を紹介をしたい。
口から触手のようなものを出しているのはサイコパス体育教師 ダニエル。
嫌がらせ大好きお局ナースのバーバラ。
会社員、パワハラ上司 カール。
街の奇人、清掃員 アマンダ。
以上、映画などではムカつくので大概殺されるか散々な目に遭わされるというタイプの面々だ。ゾンビになっても仕方がない。だが、ゾンビ風に塗装しないと変なポーズを取ったただの市民になる。
ゾンビ「アアア…」
急に全力疾走し出すゾンビ「ウァァァァ”!!!」
マスターボックスはあまり知らなかったのだけど、ほんとに良い意味で変で妙な商品も豊富で面白いとおもった。
往生安楽国
建築シリーズ二回目。京都の宇治にある世界遺産、平等院鳳凰堂のフジミ模型プラモデルを製作。十円玉の裏に描かれてるコレである。
平安時代の貴族、源融の別荘が藤原家のものとなり、後に寺院に改められたものであるらしい。この源融という人物は、やや昔活動していた某ジャ○ーズ事務所のアイドルグループ、光GE○JIの元メンバーの一人ではなく、『源氏物語』主人公の光源氏のモデルではないかと数えられる超重要人物の一人である。超重要なのかはさておき、そんな“優雅”としての象徴の建物がそう易々と寺に変えられるなんて… と思うたものだが、古より俗と聖が入り混じった薄く緩やかな宗教観が辺境の地の日本らしく、根付いていった文化的価値観はそう簡単に変わらないのだなと思われた。西方極楽浄土を再現して建てられ、阿弥陀如来を本尊としている。
ガラガラ…
パカーン
オッ…!?
阿弥陀如来座像<コンチハ~
付け足した砂利の粒が大きすぎて、1/150人間と比べるとデカい岩でしかないね…まあいいや
こんなところで、アディオス
なけなしでも金、プラモでも金
大学生の頃、関西地方に住んでいた私は友人とその知り合いの三人で金閣寺に訪れていた。金閣寺は歴史の教科書でしか見たことがなかったため、実物はさぞ豪華絢爛で荘厳な寺なのであろうと想像していた。だが、その期待は私のなかで脆くも崩れ去った。明瞭な色味を帯びてかつ軽薄そうな金箔のこてこてと張られてあった姿に寺社の古めかしい重厚さは感じられず、一瞬にして興醒めの感情が沸き起こってしまった。これは外国人にはその派手さが受けられるんだろうと気を取り直したことを覚えている。これはあくまでも個人的な感想である。
さて、私はなんとも悲しい出会いとなった金閣寺だが、やはり三島由紀夫の作品『金閣寺』のイメージの存在が大きい。内容は言わずもがな、吃音症を患っていた学僧が己の醜さと葛藤をし、金閣の美に嫉妬し自殺しようと放火する話である。自殺に失敗して山へ駆け上がる最後の場面は心に鮮明に刻み込まれている。死と対面した時にだけ蝶々のごとく刹那的に現れる生命の躍動、陰鬱とした精神から解放された際のカタルシスが殊に感じられ、名状し難い清々しさを味わったものだ。
ふとそんな金閣寺のプラモデルを作ろうと思った。屈強で洗練された戦車もいいが侘び寂風情のある寺もいい。フジミ模型の金閣寺1/100スケールである。これは再建当時をモデルとした模型であり、残念ながら焼失前のものではない。
↓製作工程
↓川面に映る僅かな影
↓完成形
↓小説の主人公が死のうとした究竟頂の文字
↓黄金に煌めく鳳凰
白壁などあまり綺麗な仕上がりにできなかったがこれぐらいでいいのだ。あんまり綺麗に仕上がったら、私も金閣の美に嫉妬して明日の朝にでも燃やせるゴミに放り出してしまうかもしれないから。なんてね。これでいいのだ。
生活
病院のベッドに横たわりながら段々と意識が遠のいて恍惚を味わう、ただその一瞬の為だけにそう夢想しつつも生活を続けているのかもしれない、とふと思った。