コンビニ人間ベム

 芥川賞も第155回目だそうだ。近ごろ芥川賞に受賞された小説を読んでみた。著者、村田沙耶香の『コンビニ人間』である。

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 私自身も学生時代にコンビニ店員として働いていた時期があり、懐かしい思い出に浸ってやけにジジイになった気分になって気になってポチることにした。この著者自身もコンビニ店員として働く傍ら小説家でもあるらしい。

 18年もの間、コンビニ店員で居続ける30代独り身の女性、古倉さんを通して“普通の人間”が“普通”である事をとことん追い求める異様な執着心、“普通でないこと”に対する嫌悪、また“異常”であるが為に排除される側の苦労を作品からひしひしと伝わってくる。

 

 “普通教”とでも言っておこうか、“普通”である事、いわば“普通神”を唯一絶対の神として崇め祀り、『南無普通神……』と“普通経”とか“普通教典”を陰で人知れず唱え、「“普通神”は絶対なり!」と心の内で叫ぶ。偶像崇拝は厳禁である。“普通”から外れる事を極端に嫌い、お互いに異端者ではないか探りあって確かめ合う。異端者であった場合、それを指摘し“普通教”に準ずるよう相手に躊躇なく絵踏みを促し正しく認識させ、また“普通神”を崇め直す。“普通教”に背いたムラ社会の者は奇人を見る目で見られ逸れとなく距離を置かれ、ムラ人達にあいつはちょっと変わっとるからのう、奇人じゃぞと陰で揶揄される。これはもはや一種の信仰かもしれん、そんな風に思える。“普通教”は世界中どこにでもある普遍的な“宗教”であるし、他国にいけば他国のムラ社会での“普通教”が存在するというわけだ。何という事だ。世界三大激ヤバ宗教の一つ、空飛ぶスパゲッティーモンスター教よりも恐ろしい存在ではないか。


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 読了後、一つ気になったのが“普通”から外れた存在である厄介な客やクレーマーなどの存在が大して描かれていないんだなということ。内容が非常にコンパクトに描かれてあり、人物の感情描写もさほど感じず、マニュアルで従うロボットっぽい古倉さんの視点を通して淡々と描かれるので人間としての息遣いが存分に感じられず、全体的に無味乾燥としたある意味そういう点でもコンビニっぽい形をした小説でもあると思う。すいません、自分でも何言ってるのか解らない。

 

 私がコンビニ店員をやっていた時に、深夜勤だったからかそういう人達は少なからず居たし、そういう客から普段見えない闇の部分を読む前に少し期待していたのである。


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 私が体験した目立った客を例に挙げると、まずアル中のジジイ(60代)である。店員によく絡み、レジにはたいてい安い瓶酒を買いにきて、女の店員にはセクハラまがいの事を言うジジイがいた。店員からは“アル中”と裏で呼ばれ鬱陶しがられていた。私が作業していると“アル中”はよく絡んできた。

 ある日、アル中に「一緒に飯行かないか」と誘われた。勉強があるんです…!とそれらしく言い繕い、本音は面倒くさいので断った。私用でアル中と関わる事だけは避けたかった。そしたら次の日、餃子の差し入れを渡してきた。毒でも入ってるんじゃないかと疑いの後、当時学生でアフリカの子供ぐらい飢えに苦しんでいた私はそれを食べることにした。幸いに毒は入ってなかった。満腹後の私は、アフリカの子供が苦しんでいるのかどうかも知ったことではない。アル中とはそんな妙な仲であったが、ある時、やたらと私に絡んできて、作業どころではなくなった。舐められやすい質である私の肩に手をまわしてきて少なからず殺意が湧いた。それを裏で見ていた店長が飛んで出てきてアル中が「qぁwせdrftgyふじこlp;」などと意味不明な言動を発し、口論になった。しまいにはアル中はコンビニを出入り禁止になった。結果的に“アル中”を出禁にしたことが私のコンビニ業績の一番の快挙かもしれない。f:id:kuzumo863:20160813095504j:image


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 他には、毎朝エロ本を買いに裏に向けてレジに置き、私が表に直すと小言を言ってくるジジイとか。何かに機嫌を悪くしたのか退店時にドアを蹴って出ていくジジイとか。ジジイばっかりじゃねえか、おい。

 

 

 

 

“普通”ではない人間が迫害を受けない為に仮面をつけて“普通”であるふりをして凌いで生きていく“普通”の人間の本質を描いた小説である。