なけなしでも金、プラモでも金
大学生の頃、関西地方に住んでいた私は友人とその知り合いの三人で金閣寺に訪れていた。金閣寺は歴史の教科書でしか見たことがなかったため、実物はさぞ豪華絢爛で荘厳な寺なのであろうと想像していた。だが、その期待は私のなかで脆くも崩れ去った。明瞭な色味を帯びてかつ軽薄そうな金箔のこてこてと張られてあった姿に寺社の古めかしい重厚さは感じられず、一瞬にして興醒めの感情が沸き起こってしまった。これは外国人にはその派手さが受けられるんだろうと気を取り直したことを覚えている。これはあくまでも個人的な感想である。
さて、私はなんとも悲しい出会いとなった金閣寺だが、やはり三島由紀夫の作品『金閣寺』のイメージの存在が大きい。内容は言わずもがな、吃音症を患っていた学僧が己の醜さと葛藤をし、金閣の美に嫉妬し自殺しようと放火する話である。自殺に失敗して山へ駆け上がる最後の場面は心に鮮明に刻み込まれている。死と対面した時にだけ蝶々のごとく刹那的に現れる生命の躍動、陰鬱とした精神から解放された際のカタルシスが殊に感じられ、名状し難い清々しさを味わったものだ。
ふとそんな金閣寺のプラモデルを作ろうと思った。屈強で洗練された戦車もいいが侘び寂風情のある寺もいい。フジミ模型の金閣寺1/100スケールである。これは再建当時をモデルとした模型であり、残念ながら焼失前のものではない。
↓製作工程
↓川面に映る僅かな影
↓完成形
↓小説の主人公が死のうとした究竟頂の文字
↓黄金に煌めく鳳凰
白壁などあまり綺麗な仕上がりにできなかったがこれぐらいでいいのだ。あんまり綺麗に仕上がったら、私も金閣の美に嫉妬して明日の朝にでも燃やせるゴミに放り出してしまうかもしれないから。なんてね。これでいいのだ。