往生安楽国
建築シリーズ二回目。京都の宇治にある世界遺産、平等院鳳凰堂のフジミ模型プラモデルを製作。十円玉の裏に描かれてるコレである。
平安時代の貴族、源融の別荘が藤原家のものとなり、後に寺院に改められたものであるらしい。この源融という人物は、やや昔活動していた某ジャ○ーズ事務所のアイドルグループ、光GE○JIの元メンバーの一人ではなく、『源氏物語』主人公の光源氏のモデルではないかと数えられる超重要人物の一人である。超重要なのかはさておき、そんな“優雅”としての象徴の建物がそう易々と寺に変えられるなんて… と思うたものだが、古より俗と聖が入り混じった薄く緩やかな宗教観が辺境の地の日本らしく、根付いていった文化的価値観はそう簡単に変わらないのだなと思われた。西方極楽浄土を再現して建てられ、阿弥陀如来を本尊としている。
ガラガラ…
パカーン
オッ…!?
阿弥陀如来座像<コンチハ~
付け足した砂利の粒が大きすぎて、1/150人間と比べるとデカい岩でしかないね…まあいいや
こんなところで、アディオス
なけなしでも金、プラモでも金
大学生の頃、関西地方に住んでいた私は友人とその知り合いの三人で金閣寺に訪れていた。金閣寺は歴史の教科書でしか見たことがなかったため、実物はさぞ豪華絢爛で荘厳な寺なのであろうと想像していた。だが、その期待は私のなかで脆くも崩れ去った。明瞭な色味を帯びてかつ軽薄そうな金箔のこてこてと張られてあった姿に寺社の古めかしい重厚さは感じられず、一瞬にして興醒めの感情が沸き起こってしまった。これは外国人にはその派手さが受けられるんだろうと気を取り直したことを覚えている。これはあくまでも個人的な感想である。
さて、私はなんとも悲しい出会いとなった金閣寺だが、やはり三島由紀夫の作品『金閣寺』のイメージの存在が大きい。内容は言わずもがな、吃音症を患っていた学僧が己の醜さと葛藤をし、金閣の美に嫉妬し自殺しようと放火する話である。自殺に失敗して山へ駆け上がる最後の場面は心に鮮明に刻み込まれている。死と対面した時にだけ蝶々のごとく刹那的に現れる生命の躍動、陰鬱とした精神から解放された際のカタルシスが殊に感じられ、名状し難い清々しさを味わったものだ。
ふとそんな金閣寺のプラモデルを作ろうと思った。屈強で洗練された戦車もいいが侘び寂風情のある寺もいい。フジミ模型の金閣寺1/100スケールである。これは再建当時をモデルとした模型であり、残念ながら焼失前のものではない。
↓製作工程
↓川面に映る僅かな影
↓完成形
↓小説の主人公が死のうとした究竟頂の文字
↓黄金に煌めく鳳凰
白壁などあまり綺麗な仕上がりにできなかったがこれぐらいでいいのだ。あんまり綺麗に仕上がったら、私も金閣の美に嫉妬して明日の朝にでも燃やせるゴミに放り出してしまうかもしれないから。なんてね。これでいいのだ。
生活
病院のベッドに横たわりながら段々と意識が遠のいて恍惚を味わう、ただその一瞬の為だけにそう夢想しつつも生活を続けているのかもしれない、とふと思った。
伊豆の迷い子紀行
夜20:00頃、伊東に到着した時私は温泉街に来たのだという実感が妙に湧いてきた。辺りは深い山々に囲まれてその中にはぽつぽつと旅館やホテルらしき建物が見られ、少し寂れた感じを思わせる独特な雰囲気と浴衣を着て街を練り歩く人々。
なぜ、伊東に舞い降りたのかというと天城山へ登る登山口へのバスが伊東駅から出ているからである。朝方のバスで山道を登っていく事一時間、私の天城山縦走はここから始まったのだ。
天城山は日本百名山にも数えられ伊豆半島に位置し最高峰は標高1406mの万三郎岳であり、複数の山々から構成される連峰である。天気は申し分ないぐらい晴れていた。私はまず登山口から万二郎岳を目指した。
万二郎岳から下界に遠く見えるのは風車の光景である。
万三郎岳に到達した時、その場所から眺望はなにも望めなかった。なにやってんだよ、万三郎…という、残念な気分が込み上げてきた。
万三郎岳を越えた辺りから時折、富士山がひょこっと顔を覗かせる場面があった。この山のハイライトと言っていいんではなかろか。独立峰としての貫禄のあるその雄姿に感嘆せざるを得なかった。いつかはあの山を登らねばならない、という強迫めいた使命感に襲われた。
万三郎岳から歩くこと27098427255858時間ぐらい経過してやっと八丁池に着いた。(ほんとに長ったるい道のりである)
この八丁池、後で知ったのだが心霊スポットなのだそうだ。そういえば登山客の犬に通りすがりに何か唸られた気もするが…。とにもかくにも人はいずれ死ぬ。孤独という生ゆえの重い荷物を抱え込んだ私はそんなこと気にしてられぬ。道中にフレンドリーなソロおばさんと喋って孤独に染まった私の心も少し洗われたような気がした。八丁池から天城峠に差し掛かった頃、脚の疲労が限界だった。登山口から天城峠まで六時間はかかった。
天城峠を下った所に旧天城トンネルがある。
天城峠からバスは数本に一回しかなく河津駅行きの最終バスは既に通り過ぎていて途方に暮れたが、他行きのバス運転手の計らいで目的地の河津駅まで何とか辿り着いた。実にありがたい人々に助けられたのだと感心した。
『伊豆の踊り子』は川端康成の代表作の一つであるのは言うまでもないが、私にとって伊豆という地が何より魅力的に思われ続けたのは学生時代にこの小説に出会ったからなのかもしれない。電車のなかで『伊豆の踊り子』を久々に読み返していた私は読後やはりあの爽やかな寂しさを思い出したが、余りにも感傷的な主人公に対する新たな驚きもあった。何はともあれ伊豆に百名山があったことも旅選びの決め手になった。
明くる日、河津を発って熱海に赴いた。熱海には特にこれといった用事もなくて足湯『家康の湯』に浸かったり、辺りを散策したり温泉饅頭を食ったりした。海鮮丼の店と蕎麦の店はいくつも見受けられた。熱海は容赦ない坂道の多い地であり、押し寄せる人波に揉まれ、歩くのが結構堪えた。
熱海を去り、沼津に向かった私はバスに乗り、沼津港深海水族館に足を運んだ。これもかなりの行列が出来ていて一時間以上は待たされた。規模は思ってたより大きくはなかった。シーラカンスの冷凍標本が見られる。
メンダコは写真も動画も禁止だった。
沼津を去り、伊豆に別れを告げ、旅の最終地である静岡に向かった私の脚力はヨボヨボの爺さん並みだった。ホテルで一泊し、駅付近にある静岡ホビースクエアに向かった。静岡は模型好きの聖地である。
企画展と常設展があり、常設展は無料になっている。
あまり広くはないが様々な模型が展示されていて、模型好きのオッサンからオタク、そしてちびっ子まで楽しめるはずである。