モノツクリ雑記 

雑記ブログ

FROZEN MUSIC


フジミ模型の1/100薬師寺東塔を製作。

薬師寺は一度行った試しがあったが、東塔は工事をしていて西塔のイメージだけが残っている。なんと公式によると3月頭から公開されるようである。
f:id:kuzumo863:20210221110942j:image
全体的に汚しを入れて古塔の感じを出してみた。この薬師寺東塔思ったより、でかくて存在感がある。 
f:id:kuzumo863:20210221104119j:image
マイ本尊、リボルテック阿修羅像との共演。

f:id:kuzumo863:20210221104203j:image

相輪は元々が落ち着いた金緑色のような塗装がされていてなかなか良い色だと思ったが、青銅色に錆塗装。
f:id:kuzumo863:20210221104217j:image

“凍れる音楽”と称された東塔の美しさ、本物でも是非拝見したい。
f:id:kuzumo863:20210221104227j:image

『桃太郎』

 今は昔、お爺さんとお婆さんが山里で暮らしていました。お爺さんとお婆さんというと、読者の皆さんは70、80代かそれ以上だろうと想像することと思いますが、現代でいうところの50代ぐらいだとここでは認識しておいてください。お爺さんは山へ柴刈りにいき、お婆さんは川で洗濯をしていました。すると、桃が勢いよく流れてきました。お婆さんはナイスキャッチをして桃を割ってみたところ、そのなかにはなんと赤子が居るではありませんか。

 と、このような生い立ちだと二人から聞かされてきた幼い桃太郎は、サンタクロースを信じ込む子供のように純真無垢にもその話をまるっきり信じ込んでいました。桃太郎は気に入らない者がいれば、鬼め鬼めと囃し立てていました。

 筆者から予め申し上げておかなければいけないのですが、ここに出てくる登場人物の桃太郎とはあの童話上の桃太郎とは全くの別世界、別人物であることを読者の皆さんにはお知り置きいただければと思います。紛らわしいので童話の桃太郎についての記述は真・桃太郎としておきます。

 さて、あの童話に出てくる真・桃太郎と同じ出生の形なんだ、俺は特別なんだという誇りと自尊心が幼いながらもどんどん芽生えてくるのでありました。桃太郎がすくすく成長していくなかで小学生ぐらいの齢になると自らの出生の秘密を徐々に知らされてゆくわけであります。桃から人が生まれてくるわけがないと。

 村には子供が何人も居りましたが、ある時、村の子供が桃太郎に向かって何やら含んだ笑みを湛えてこう言いました。

「君、捨子って話本当かい」

 桃太郎は一瞬面食らったものの即座に否定して、その子供を投げ飛ばして帰ってゆきました。桃太郎は些か乱暴なところがありました。しかし、その日を境にして己の出生の秘密について疑念が自身のなかで増していくのでした。

 それから数年後、ある日桃太郎はお爺さんとお婆さんに自身の出生について訊ねました。内心は真実を確かめるのが不安で仕方なく、苛々していました。桃太郎に対して二人は顔を見合わせて苦い顔をしてからお爺さんがこう言いました。

「お前が大人になってから話す、この話は以上だ」

 こう言われた桃太郎は癇癪を起こし周りの物を投げ飛ばしました。二人は慌ててヒステリーになった桃太郎を説き伏せて出生の真実を語りました。

 あの日、お婆さんは確かに川で洗濯をしていたのでした。空は鉛色の雲が垂れ込めていて、雲行きが怪しい調子でした。すると、何かが流れてきました。流れてきたのは桃ではなく、小さな筏に藁を厳重に巻いてある漂流物でした。お婆さんは怪訝に思いながら拾い上げて、紐解いてみると生きた赤子がいたのです。その捨子が桃太郎だったのです。

「あな、恐ろしや…」

お婆さんは驚いて腰を抜かしてしまいました。柴刈りから帰ってきたお爺さんもそれを見て腰を抜かしてしまいました。両方とも暫くは放心状態でした。二人には子供が居なく、相談して育てていくことに決めました。赤子の名は川から流れてきたという共通点を持つ真・桃太郎にちなんで桃太郎と名付けたのでした。

 この話を訊いた桃太郎は、俄に体が震えだしました。それを見て、お爺さんは拾ってやったのだから、もっと謙虚さを持てだの、もっと働けだのと延々と説教をしました。桃太郎は己の惨めな境涯に屈辱感とやがて憎悪を滲ませて二人の方を睨みつけました。拾われて育てられたのだから命の恩人である二人に桃太郎は感謝すべきであろう点は疑いの余地もないように思われますが、桃太郎とお爺さんとの間には微妙な気質の不一致から起こる確執が徐々に生じつつあったことはここで述べておかなければいけないことです。お爺さんは桃太郎に対し、思い通りにならないと怒鳴りつけたり飯を抜いたりなど常に厳しく冷酷な振る舞いだったということは事実です。 

 この件があってから桃太郎は些細なことで非常に癇癪を起こすようになり、お爺さんとお婆さんにも暴力を振るうようになってきました。家の中は荒れ果ててしまいました。お婆さんは夜な夜な人知れず涙を流すようになりました。

 二人は手の付けられない反抗期の桃太郎を恐れるようになり、お爺さんの提案により桃太郎を座敷牢に幽閉することにしました。聡明な読者の皆さんは、そんな乱暴者の桃太郎をどうやって座敷牢に閉じ込めたのかと思うかもしれません。それは桃太郎が深く寝静まったのを確認し、二人でえっさほいさと運び入れたというわけです。案外上手くいったものでした。座敷牢といっても屋内で座敷が敷いてあるような立派なものではてんでなく、家から少しばかり離れたところにある家畜の山羊を入れておく檻そのものでした。時期は冬で雪が積もっていましたし、屋根と囲いはあり風は防げましたが、防寒といえば座敷牢には干し草の束と大きめのぼろ布があるだけでした。初日は喚き声をあげ反抗し続けていた桃太郎ですが、それも次第に治まり、今度は無口になりました。最低限の食事は出されており、厠は付近の瓶で代用していました。お婆さんは、そろそろ桃太郎を出してはどうかと提言しますが、お爺さんは頑なに良しとしません。

 それから数日後、お爺さんとお婆さんがいつものように座敷牢に来たところ、桃太郎がいないのです。二人は慌てて辺りを探し回りましたが見つかりません。散々探した挙げ句、見つからなかったので帰ることにしました。疲れていたので途中の東屋で一休みすることにしました。二人はどうしたものかと話し合っていた時、お爺さんはふと何かの視線を感じました。振り向いてみると、ぼろ布を纏った男が何やらぶつぶつと言いながら冷たくきらめく物を持ってそこまで来ているのでした。お婆さんに急いで逃げるよう説き伏せ、お爺さんは近くの茂みに落ちていた頑丈そうな木の棒を拾い上げたその刹那、男、そう桃太郎は刃物を持った腕を振り上げた後、一目散に振り下ろしてきました。

 お爺さんは、咄嗟に桃太郎の脚を蹴り、体勢を崩した桃太郎は前のめりになって倒れ込みました。桃太郎は簡単には諦めません。すぐに立ち上がり、今度は刃物を腹の前に据えて、叫びながらお爺さんに襲い掛かりました。お爺さんはそれを横に避けて、桃太郎の刃物を分捕り、桃太郎の胸の辺り奥深くまで刃で貫きました。

 夥しい鮮血の雨が降り積もった辺りの白雪に一瞬にして降り注ぎました。

桃太郎の眼はどこを見つめるでもなく見開いた後、虚ろな瞳に変わってから崩れ落ちました。牡丹雪の降り積もる寒々とした冬の薄暮のことでした。

 数日後、村では桃太郎を殺害したお爺さんに対して裁判が行われました。桃太郎の以前の日頃の悪行は、噂話などで村人も重々把握しておりお爺さんの正当防衛だと判断され、お爺さんは無罪放免となりました。 

 ある日、お爺さんとお婆さんは、墓前に手を合わせて祈りを捧げていました。それは桃太郎の墓でした。お婆さんはハンカチを手にし涙を拭っていました。お爺さんは神妙な顔つきでその墓に対して呟くのでした。

「鬼は他所にあったのやない。鬼はお前の心にあったのや…」

 お爺さんは、上手いことを言ってやったというような少し満足げな顔を覗かせてその場を去りました。お婆さんは首を傾げつつその後に続くのでした。樹木に止まった一羽の烏が鳴いており、無常にも宵闇が辺りを包むのでした。 

 

完 

  

ギンギラギンに、あからさまに


f:id:kuzumo863:20201129111403j:image

 ウェーブ社製、タチコマ 1/24製作。草薙少佐も付いている。パーツの合いは難があるが、修正して組み立ててみるとなるほど、これはタチコマだ。 

単に青色でもよかったが、箱絵のギラつくようなメタリック感に唆られてメタリックブルーで塗装。
f:id:kuzumo863:20201129111701j:image
f:id:kuzumo863:20201129111710j:image

 路面は、との粉の下地にモデリングペーストを塗布しグレー塗装で再現。コンクリートのざらついた感じは出せたと思う。路面だけでは物寂しいのでフジミの道路標識セットの標識を設置。錆塗装を派手にしすぎたかしら。
f:id:kuzumo863:20201129111422j:image

あれやこれやと苦心しながらも背景に気を遣った写真
f:id:kuzumo863:20201129111928j:image

f:id:kuzumo863:20201129121506j:image

タチコマ「少佐〜、援護にきました!」

少佐「全て片付いたわ…、帰るわよタチコマ

タチコマ「」
f:id:kuzumo863:20201129111950j:image

おしまい 



🇺🇸🦞

 もう夏だ。容赦ない蝉時雨で耳をつんざかれそうになる夏だ。夏といえば子供は自由研究だ。一体何を研究したらいいのか皆目見当が着かずに毎晩眠れずに過ごしている子供達、何もそう心配することはない。そういうプラモデルがフジミ模型から出ていた。今回はアメリカザリガニを製作。成型色が赤青透明の三色ある。 


f:id:kuzumo863:20200811222935j:image

色塗りを愉しみたい私は透明を選んだ。流行りの“透け感”とやらを演出するにはうってつけだ。
f:id:kuzumo863:20200811212942j:image

完成したら思った以上に大きかった。ジオラマにしようかと企んでいたがそんなサイズではなかった。瞳も大きめでキュートだ。
f:id:kuzumo863:20200811212951j:image

子供の頃、家の傍の用水路でザリガニを獲っていたことが自然に思い出されて、しみじみと童心に帰らされる想いである。やれやれ、という感じだ。 
f:id:kuzumo863:20200811213002j:image


f:id:kuzumo863:20200811213014j:imagef:id:kuzumo863:20200811213022j:image

でわでわ。

 

 

Goliath is dead.


f:id:kuzumo863:20200705082953j:image

突然だが、諸君はゴリアテと呼ばれる名を持つ者をご存知かな。

 ある者はいう、ゴリアテとは、旧約聖書にでてくるダビデに殺られた巨人兵士のことだ、と。

f:id:kuzumo863:20200705072244j:image

 否…、ゴリアテとは、WW2で独軍が使用した遠隔操作の爆薬運搬車“走る爆弾”のことだ、そういう者もいる。
f:id:kuzumo863:20200705072348j:image

 否…、どれも正解だがここでは天空の城ラピュタで悪役ムスカが搭乗していた戦艦だ。ヒロインが幽閉されていた戦艦だ。ファインモールド社製の飛行戦艦ゴリアテを製作。

f:id:kuzumo863:20200705073912j:image
 そういえばジブリ作品が今どき映画館で上映されてるみたいで、何だかタイムリーだ。 

 このモデルはだね、単刀直入にいうと…かなりスリムだ。

f:id:kuzumo863:20200705075839j:image
 それはもう新幹線のようなスリムさだ。アニメのはもっとむっくりしていた。気のせい?

f:id:kuzumo863:20200705080808j:image
 いや、幾度となく、目をこすって見開こうが😳、やっぱりむっくりしていた…。

f:id:kuzumo863:20200705075724j:image

 ので、目を瞑ることにする。そして、心眼を開くのじゃ……。この模型はそう私に語りかけている。気がする。

f:id:kuzumo863:20200705071012j:image

f:id:kuzumo863:20200705071139j:image

小さいのはタイガーモスだけど、ゴリアテと比較すると稚魚みたいだ。
f:id:kuzumo863:20200705071048j:image

f:id:kuzumo863:20200705071100j:image

ムスカスケールモデルも付属しているのだが、気重になって手をつけていない。物ぐさだし気が向いたら銅像風にでもしてやろうかな。

 

猫と無人兵器

 

 ナマステ。久々のブログ更新になり申した。今年に入ってから書いてなかった。ハセガワ製マシーネンクリーガーのグローサーフントを製作。    f:id:kuzumo863:20200516155648j:image
f:id:kuzumo863:20200516152153j:imagef:id:kuzumo863:20200516152324j:image

 マシーネンクリーガー自体名前ぐらいでほぼ知らなかったけど、模型の教科書として横山宏Ma.K.モデリングブックを以前買って読んでいたのだ。模型の奥深さに度肝を抜かされた私はその本を読み込んで、満を持して今回の購入に至ったというわけだ。
f:id:kuzumo863:20200516152218j:image

 ストーリーは大まかにいうと、シュトラール軍と傭兵軍の戦争を描いたポストアポカリプスの作品なわけだ。ポストアポカリプスなんてジャンルは私の好物である。食いつかない訳がない。シュトラール軍は、STAR WARSでいうところの帝国軍側で、傭兵軍は反乱軍(共和国)側に位置するのかしらん。違っていたら面目ない。このグローサーフントはシュトラール軍の無人兵器。
f:id:kuzumo863:20200516152228j:image
f:id:kuzumo863:20200516152242j:image

 ゴム製部品の接着剤や穴を開ける為のピンバイスなどが必要なので工具は多少必要なキットである。だが、それゆえの模型の探究心や面白味を味わえるといえよう。 
f:id:kuzumo863:20200516152301j:image

 1/20スケールって人のジオラマ素材があまりなかったので偶然猫のキットを見つけたので合わせて見た。2匹居る。これで猫との大きさの比較が出来るね。
f:id:kuzumo863:20200516152207j:image

ではご機嫌よう。 

 

 

 

 

瀬戸内の袋小路紀行

f:id:kuzumo863:20191229215618j:imagef:id:kuzumo863:20191229222215j:image

 フェリーにて岡山の離島である犬島に辿り着いた私は瀬戸内海の波の静謐さを悟った。河川のような青緑色の海の光景が目に焼き付いた。磯の匂いがほんの控え目なのにも驚いた。日本海側の土地で育った私には藍色の海が鼻を突くような磯臭さと波の音は絶えず耳朶を打つのが常であった。瀬戸内海の景観は何やら珍奇なものとして私の目に映った。深閑とした青緑の海に向かって目を瞑り深く息を吸い込んだ。澄んだ心地よい微風が喉を伝っていき頭の中を軽やかに潤していった。

 目当てにしていた犬島精錬所美術館に足を運んだ。ここは大正時代には精錬所として稼動していたが後に廃止され遺構となったのが現代美術館として再活用されているのだった。

f:id:kuzumo863:20191229222400j:imagef:id:kuzumo863:20191229222425j:image

f:id:kuzumo863:20191229222453j:image

 そのうち崩れ落ちそうな塔を幾ばくかの間眺めていると、塔自身の老いて滅んでゆくことへの悲哀のような感が胸中に募り出してきた私は密かに感極まる己自身を認めないでは居られなかった。 

f:id:kuzumo863:20191229222511j:image

 芸術家が三島由紀夫をモチーフとして作品を展示しているのだった。この地と三島との縁は全くないと訊いて何だか私は少し拍子抜けしたような気になった。何かしら所縁があったのかしらと勝手に薄い期待をしていたからである。然し、作品自体は面白く目を惹くものが幾つか見受けられた。

f:id:kuzumo863:20191230224423j:image

 犬島は“アートの島”らしい。島を歩いていると巨大な犬に鉢合わせた。この犬が「こんにちワン」と話し掛けてきた所で目が覚めた。どうやら旅の疲れで眠っていたらしい。

 犬島を去った私は、翌日尾道に向かった。数々の寺を巡るまでの坂道で息が切れ切れになった。ロープウェイもあったが登りも下りも意地で使わなかった。おかげで脚が棒になった。もげなくて良かったと深く安堵した。
f:id:kuzumo863:20191230225738j:image
f:id:kuzumo863:20191230225806j:image

 千光寺への道中で志賀直哉の旧居を見つけた。名前は知っていたが読んだことなかった文豪の一人なのでこの機会に『暗夜行路』を読み出した。
f:id:kuzumo863:20191230225839j:image

 犬の次は猫である。“猫の細道”には幾つもの猫の作品が置かれてあった。

f:id:kuzumo863:20191230231200j:image
f:id:kuzumo863:20191230231734j:image

 千光寺からは尾道の街並みが見下ろせた。歌のカントリーロードではないが坂道に無数にある小路が毛細血管のごとく枝分かれを繰り返して果てしなくどこまでも続いてゆくようなそんな印象を抱いた。 

f:id:kuzumo863:20191230232049j:image

f:id:kuzumo863:20191230231326j:image

 ふと地面に目を下ろすと猫が描かれていて踏みつけるところだった。すると、信じられぬかもしれないがこの猫は何かお経のような言葉を唱えてきた。恐る恐る話し掛けてみようとしたところでふっと消えてしまった。

 夢の門は閉ざされた。眠気眼で時計を見るとまだ夜中の三時を過ぎた頃だった。既に尾道を去った私は三原の旅館で泊まっていたのだった。どうやら疲れていることだけは確かだった。

f:id:kuzumo863:20191231042728j:imagef:id:kuzumo863:20191231042742j:image

 その翌朝は低く垂れ込めた鉛色の空に小雨が降っていた。午頃には帰る予定で、倉敷に寄った。大原美術館が休館だったので倉敷美観地区に寄るかどうか思い倦ねていたのだがつまらなかったらすぐ帰るつもりで行くことにした。美観地区に入ると、偶然目にしたフクロウの森にいった。他に豆柴とハリネズミの館があった。

f:id:kuzumo863:20191231043144j:image
f:id:kuzumo863:20191231043930j:image
f:id:kuzumo863:20191231043858j:imagef:id:kuzumo863:20191231044016j:imagef:id:kuzumo863:20191231044830j:image

 フクロウを眺めていると動きがロボットのようで可笑しく優美な生き物に思えた。一部を除いて撫でることができた。毛並みの柔らかさは新雪のようであった。

f:id:kuzumo863:20191231051443j:imagef:id:kuzumo863:20191231051504j:image

 先に進んでゆくと風情のある古い建物と水路が見渡せて幾らか愉快な気分が芽生えた。ここで漸く自分のなかで旅情が染み渡ってきたように思われた。

f:id:kuzumo863:20191231052108j:image
f:id:kuzumo863:20191231052120j:image
 アイビースクエアでワインの販売をしていたので飲んでみた。普段ワインを飲まないのに柄にもないなと思いつつも景色がそうさせたのかしらん。また少し愉快な気分に浸された。

f:id:kuzumo863:20191231052214j:image

 倉敷美観地区は混雑しておらず程良い按配の観光客数で歩きやすく気に入った。気ぜわしくなくゆっくり散策すると愉しかろう。一時間半程しか滞在できなくて、もっと居続けたいと感じられた。倉敷に来て良かったと思った。どこか味気ない旅になるところだった。そんなことを思いながら帰途に着いた。