モノツクリ雑記 

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『浦島伝説異聞奇譚』

 

 これは祖父から私、そして私から孫へと語り継ぐ樫井家の新たな伝承記とするものなり。
 ある時私は今は亡き祖父の書斎を訪れ、本棚の整理をしていた。祖父は図書館の館長であった。幼き頃の私に様々な本を与えては読み聞かせてくれた。少し黴臭い陰気染みた書斎で私はバター風味の甘いキャンディーを舐めながら本棚に目を通していた。すると、直筆で書き綴られた古い書物に目が留まる。不思議に思い、手に取ってみると表紙には『浦島伝説異聞奇譚』と書かれてあった。この本には次のような物語が描かれていたのであった。

 今は昔、丹後の国に浦島太郎いう者ありけり。この浦島は漁師であり、妻はなく両親と暮らしておった。歳は二十を過ぎている。そんな浦島は酒浸りの日々を気ままに過ごしていた。

 ある時いつものように漁に出ようと浜辺へ赴くと、少年ら四人が何かを取り囲むようにして騒ぎ立てている。近付いてみると、それは海亀であった。棒切れを手にした少年達は海亀の頭や甲羅を叩いて拍子を取りながら愉快に歌っているのである。浦島はにやりと不吉な笑みを浮かべながら漁用に持参していた先の鋭く尖った包丁を取り出して少年達を脅してこう言った。

「おら貴様達、命が惜しければその亀を引き渡せ。」

「ひいぃぃ…。命だけはどうか…。」

少年達は浦島にわなないて応えた。恐れのあまりに失禁していた者もいた。 

「よし、行け。」

慈悲深い浦島の言葉に少年達は一目散に駆け去っていった。浦島は少年達が逃げるのを笑いながら見届けると、海亀をどうするか考えた。ちょうど腹が減っていた。

「海亀、美味そうだな。刺し身にするか煮るか焼くか、うむどれも捨てがたいのう。」

浦島は涎を垂らしていると、

「どうか命だけはお助けてください。私を助けていただけるなら竜宮城にお連れ致します。」

海亀から発せられた悲痛な言葉に浦島は唖然とした。

「海亀が喋った……………。」

「これはとんだ失礼を致しました。私は海亀Aと申す者です。」

驚愕のあまり尻餅をついた浦島に海亀は得意気な様子で流暢に名乗った。

「竜宮城とは一体何だえ。」

「竜宮城には美しき乙姫様がおり、幾人もの麗しき侍女達に饗されることでありましょう。」

「いいだろう、が嘘だったらお前を食べるぞ。」

「旦那、決して嘘ではありませんよ。」

「さあ、背中に乗ってください。」

浦島は海亀Aの背に乗ると水を噴射するようにして海面を素早く滑らかに進み出した。

「これは良い。船よりも早い。」

「あっという間に竜宮城へお連れ致します。」

「竜宮城とは島にあるのか。」

「いえ、海中にあります。」

「お前はいいが俺はどうやって息をすればいいんだね。」

「竜宮城やその住人付近には常に空気が取り巻いており、心配ご無用ってなわけです。」

「ふむ、よく分からぬが大丈夫なら結構だ。」

 浦島を乗せた海亀Aは海中へと深く潜ると色鮮やかな珊瑚や丈高な深緑の藻が密に生い茂った先に建物の群があるのが見てとれた。朱塗りの壮大な建築物には至る所に金箔の散りばめられた絢爛豪華な意匠が施されてあった。浦島が竜宮城の豪奢な佇まいに魂消ていると海亀Aは城の案内をした。あらゆる魚の群れが城の周りを守護するかのように取り囲んで泳いでいた。城内に入ると器量の良い侍女達が数十人は居て舞や音楽、御馳走の饗しを受けた。どれも女ばかりで男は一人も見当たらなかった。奥の間から一際見惚れるほどの華麗な女が出てきた。それが乙姫であった。

「そなたを待っておったぞよ。」

「亀を助けてくれた御仁はそなたじゃな。」

「いやなんの、人として当然のことをしたまでだ。」

「ふふふ、まこと天晴なお方じゃ。」

浦島は海亀を食べようなどと始めに考えたことはおくびにも出さなかった。莞爾として笑う乙姫は快活な調子で浦島を褒め讃えた。浦島は竜宮城でいつまでも暮らしたいと言い出すと、乙姫はきょとんとした表情で何を今更そんなこと当たり前じゃないのとでも言わんばかりにすぐに承諾した。やがて一層懇意になった二人は契りを結んだ。竜宮城では武家のように一夫多妻制が敷かれており、正室の乙姫のほかに側室が認められていた。豪勢な食事が毎日与えられ、酒色に溺れて安逸を貪るような暮らしを続けていた。今の浦島はここに来た時とは外見が明らかに肥えていた。

 浦島は竜宮城での豊かな生活に不満はなかったがある気掛かりなことがあった。それは乙姫や侍女達は毎日長い間昼寝をし、その寝顔にはどこか得体のしれない薄気味悪さが漂っていることである。

 また、以前両親のもとへ里帰りをしたいと申し出た浦島に乙姫は、

「嫌じゃ、嫌じゃ、わらわはそなたと離れとうない。愛しておるのじゃ。」

と駄々を捏ねるので、帰るのは数日の間だけだというと、もう少し待ってくれと言われて有耶無耶にされたことも腑に落ちなかった。

 浦島は彼女達の寝ている間にそっと寝室を抜けて辺りを探ってみることにした。乙姫が出てきた奥の間に行ってみると正面に鍵が掛かっていて中に入れない。浦島は怪訝に思い、後面に回り込むと高い仕切りが立てられてあった。少し低くなった角の所から登って覗いてみると、なんと人が沢山居るではないか。それも男ばかりで横たわって呻吟する生者もいれば血塗れや白骨化した死体も転がっていたのである。あな恐ろしや。浦島はその光景に身震いして後退る。すると、背後で硬いものとぶつかって再度吃驚した。海亀であった。竜宮城の内部でも魚は往来していた。 

「いやはや、見て仕舞われましたか。」

「一体何だこれは。」

「私は海亀Bと申します。」

海亀Bは鄭重に名乗ると真剣な眼差しでこう言った。

「一刻も早くここをお逃げなされ。さもなくば貴方もこの者らと同じ目に遭うでしょう。」

「誰がこのような事を…。」

「ここに棲む女子どもは皆、羅刹の化身なのです。元々羅刹は天竺に住まう魔物でしたがこの国へやって来たのです。奴らは男達をたぶらかし悠々と肥らせてから食らうのです。」

「さあ、早く行きましょう。」

奥の間を後にして先導する海亀Bのほうへ駆け足で続くと、誰かが浦島を呼ばう声がする。すわ乙姫が起きていたのである。

「太郎、太郎ぞいずこじゃ。」

海亀Bは何事もなかったかのようにその場を去っていった。

「いずこへ行っておったのじゃ。」

「そなた顔色が悪いぞよ。」

乙姫は寝惚け眼をこすりながら言った。

「いや、何でもござらん…。」

浦島は何とか悟られまいとして返事をしようとしたが、語尾に若干の声の震えが表れていた。

「ふむ、そうか。なら良い。」

乙姫は不思議そうに浦島を見つめると横になってまた寝始めた。この機を逃すまいと忍び足で玄関の方にいくと幸いにも海亀Bが待っていた。海亀Bと海亀Aが何やら喋っていた。

海亀A「あの男を逃がすだと、正気か。君の身が危うくなるだけだぞ。」

海亀B「僕は正気さ…。自らの保身の為に他者を偽り陥れる生活にはもう懲り懲りなんだ。良心の呵責が僕を常に苛ませる。」 

海亀A「これも弱肉強食の一種ではないかえ。それでも世の理に抗おうというのかね君は。」

海亀B「そうだ、僕は偽りの世の中に抗ってみせる。」

海亀A「私は無理に止めないがね、先輩者として忠告しておく。前に救われたからといって人間に深く情をかけるのはよせ。所詮彼らも私欲の塊なのだから。では、さらばだ。」

海亀B「さらばだ。」

海亀Aが去っていくと、浦島が海亀Bのもとへ到着して背に乗ると海中を勢いよく突き進んでいった。乙姫が目を覚ますと浦島がまた居ない。どこを探してもいないと分かると気色ばむ様子を見せ、美しい顔は俄に赤く染まりだした。忽ちに乙姫の姿は膨れ上がり、おぞましい羅刹の姿へと変貌していった。

「あの者を引っ捕らえい」

竜宮城の配下達に向けて羅刹は獣のような低い唸り声で号令を掛けた。

 浦島と海亀Bは順調に海中を進んでいた。

「なぜ、俺を助けるのだ。」

「私も竜宮城を去るつもりでしたので。」「人間は食われてお仕舞いだが、海亀にはここで何の不都合がある。」

「私らは羅刹に食べられません。飢え死にしないように食物を恵んで貰えますし、竜宮城にいれば敵からも保護して貰えます。」

「では、どうして。」

「しかし、羅刹どもによる振舞いの横暴さ、残酷さには閉口してしまいます。」

「我らの仲間で海亀Cという者が以前おりましたが反抗的な物言いをしたというだけで、奴らから殴る蹴るなど酷い目に遭わされて精神的に参った彼は自ら命を絶ったのです。」

「このような事は竜宮城では珍しくないのです。」

「外から幾ら立派に見せて着飾ろうとも内側は醜く酷いものなのです。」

海面へと上昇すると、陸はもうそこまで来ていた。ぎらぎらと焼きつく真昼の夏の太陽が眩しかった。

「助かった、恩に着る。」

浦島は浅瀬に上がると、海亀Bは

「では、ご達者で。」

と声を掛けてすぐ

「あっ、お待ち下さい、渡したい物があります。」

と言う。甲羅の上には箱が見えた。すると、海亀Bの向こうに三角の黒い背びれのようなものが近付いていた。

「これは玉手箱というものです。中には……」

 瞬く間に背後からがばりと口を開け広げた大きなサメが海面に飛び出してきて、海亀Bに食らいつき玉手箱はサメの喉奥にするりと流れ込んでいった。サメは海亀Bを噛み砕いていた。辺りは血の海に染まっていった。海亀Bは既に屍と化していた。戦慄した浦島は陸を振り向いて全速力で駆け出していった。生きた心地がしなかった。 完

 

 これは『浦島太郎』の昔話と『宇治拾遺物語』にある『僧伽多、羅刹国に行く事』をオマージュして話に組み込んでいるということが窺えよう。この話を読み聞かされた幼少期の私は『浦島太郎』という語句を耳にするたびに祖父のこの話の情景が思い浮かぶので空恐ろしい気持ちになった。舐めていた甘くクリーミーな美味しい飴を不意にぷいと吐き出してしまったほどである。しかし、この奇特な話を読み聞かせて貰った私は祖父にとって特別な存在だったのだと歳を経た今では感じられる。そう今では私がお爺さん。孫に読み聞かせるのは勿論祖父伝来の『浦島伝説異聞奇譚』。何故なら彼も又特別な存在だからである。